オススメ公演の聴きどころ指南 アリス=紗良・オット ピアノリサイタル

~ばっちり予習~

オススメ公演の聴きどころ指南


ドイツを拠点に世界で活躍するピアニスト、アリス=紗良・オット。
ジョン・フィールドとベートーヴェンをの作品を取り上げ、文京シビックホールに初登場します。
本公演の魅力と公演プログラムを音楽ライターがご紹介いたします!

アリス=紗良・オット ピアノリサイタル ジョン・フィールド&ベートーヴェン

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       アリス=紗良・オット  
 ⒸHannes Caspar / Deutsche Grammophon

  クリエイティヴな音楽活動を続け、若年層も含む幅広いファンを魅了しているピアニスト、アリス=紗良・オット。
 文京シビックホール初登場となる今回のリサイタルでは、同時代に生きた二人の作曲家--偉大な功績を遺しながら光の当たることが少ないジョン・フィールドと、昔も今も称賛され続ける楽聖、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを取り上げる。

 1770年ドイツ生まれのベートーヴェンと、1782年アイルランド生まれのフィールド。両者が直接交わったかは定かでない。しかしいずれも、当時ウィーンで対位法の大家として知られた音楽理論家でオルガニストのヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガーに作曲を師事したという共通点がある。
 アリスは今回、そんなフィールドのノクターンとベートーヴェンのピアノ・ソナタを巧みに組み合わせて、同時代の音楽の間にあるつながりを示しながら、知られざるフィールドの魅力を教えてくれる。

 ここで、実はなかなか破天荒な人生を歩んだフィールドという作曲家についてご紹介しておきたい。
 作品は広く知られていないかもしれないが、あのフレデリック・ショパンの一連のノクターンの誕生に影響を与えた"ノクターンの創始者"として名前は知っている、という方はいるのではないだろうか。
 1782年、べートーヴェンが生まれた12年後、そしてショパンが生まれる28年前のアイルランド、ダブリンに生まれた。音楽史でいうと、ここから古典派からロマン派へと音楽が大きく変化してゆく時代だ。
 フィールドはヴァイオリニストの息子として育ち、11歳でロンドンに移住。ここで作曲家、鍵盤楽器奏者、楽器製造会社の経営者をしていたムツィオ・クレメンティに弟子入りした。しかしフィールド家は経済的に裕福でなかったので、楽器店でデモンストレーションを行う見習いとして指導を受ける形だった。
 やがて商才に優れたクレメンティの手腕もあり、フィールドの才能はいつしか世間の評判となって、演奏家として名を知られるようになった。

 そして1802年、師とともにパリ、ウィーンを経由して、20歳でロシアのサンクトペテルブルクにわたる。フィールドはこの地で瞬く間に人気を博し、19世紀前半のロシア貴族の間では "フィールドを知らないことは罪悪"とまで言われたという。
 フィールドは師が去った後もロシアに30年にわたって留まり、演奏家、ピアノ教師として活動した。そんな彼の作品からショパンがインスピレーションを受け、ピアノ音楽として広く親しまれる数々のノクターンを書きあげたわけだ。ショパンはフィールドと並び称賛されたことを喜ぶ言葉を残しており、当時フィールドが音楽界でいかに重要な存在だったかがわかる。
 もうひとつ、フィールドのロシアでの功績として挙げられるのは、ピアノの生徒に現代まで受け継がれるロシア・ピアニズムの源泉となる教えを施したことだろう。のちにロシア近代音楽の父と呼ばれるようになるミハイル・グリンカも教え子のひとりだった。

 

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Hannes Caspar / Deutsche Grammophon

 そんな偉大なる天才、ジョン・フィールドだが、私生活の奔放ぶりも語り伝えられている。陰気で難しい性格、粗野な風貌と態度、浪費癖があり、さらには"酒浸りのジョン"という異名で呼ばれるほどアルコールに溺れ、財も健康もすり減らし、病のため57歳で没した。
 それを知ってから改めてその作品を聴くと、彼の魂の美しい部分は、すべて音楽として昇華されていたのかもしれないと感じてしまう......。

 去る2月、アリスはそんなフィールドのノクターン全集をドイツ・グラモフォンからリリースした。
 彼女がこれらの作品に出会ったのは、パンデミック中のことだったという。憂鬱な気持ちに寄り添ってくれる音楽を探していたなか、ピアニストのエリザベス・ジョイ・ロウによる音源を見つけ、聴き込むうちにそのノスタルジックな美しい世界、作風のおもしろさに魅了された。
 フィールドのノクターン集の楽譜にはいくつものエディションがあるが、アリスが録音の際に使用したのは、あのフランツ・リストが校訂したもの。
 リストはその楽譜の冒頭で、フィールドのノクターンについてこう評している。

 「ゆったりとした心地よさ。ボートか揺れるハンモックのような、一定の揺らぎ。なめらかで落ち着いた振動の中で、とろけるような響きが消えてゆく、そのざわめきを聴いているようだ。そよ風のため息のようであり、悲しげな声のようであり、そして恍惚とした声のようでもある。そんなおぼろげなエオリアンの音をよみがえらせることは、他の誰にもできなかった」

 当代一のピアニストにして作曲家のリストをしてこのような賛辞を言わしめたフィールドのノクターン。

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Hannes Caspar / Deutsche Grammophon

 アリスはそれを、同時代に生きたベートーヴェンによるピアノ音楽の金字塔、ピアノ・ソナタの数々と組み合わせた(ちなみにリストはベートーヴェンを敬愛し、数々のオーケストラ作品をピアノ編曲しているので、ここにも、フィールドとベートーヴェンをつなぐ存在があった)。
 いつも凝ったプログラムで、それぞれの楽曲単体が持つメッセージ以上のものを見せてくれるアリスは、今回、作品をこのように並べている。

フィールド:ノクターン 第17番 ハ長調
ベートーヴェン:ソナタ 第19番 ト短調 Op.49-1
フィールド:ノクターン 第1番 変ホ長調
フィールド:ノクターン 第2番 ハ短調
フィールド:ノクターン 第4番 イ長調
フィールド:ノクターン 第10番 ホ長調
ベートーヴェン:ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109
***
フィールド:ノクターン 第14番 ト長調
フィールド:ノクターン 第16番 ハ長調
フィールド:ノクターン 第9番 ホ短調
フィールド:ノクターン 第12番 ホ長調
ベートーヴェン:ソナタ 第14番「月光」 嬰ハ短調 Op.27-2

※ノクターンの番号は、1859年にJ.シューベルト社から出版されたF.リスト版による


 軽妙で愛らしいフィールドの17番のノクターンに始まり、ベートーヴェンが弟子の練習用に書いたとされる19番のピアノ・ソナタへと続ける。
 これを導入に、実にさまざまな表情を持つフィールドの夜の音楽の世界へと入ってゆく。そのユニークな魅力に、ショパン以前にこのような数々のノクターンが存在していのかと驚くかもしれない。「パストラーレ(田園)」という副題のつけられた第10番ホ長調のノクターンのあと、前半の締めくくりに置かれるのが、同じホ長調で書かれたベートーヴェン後期三大ソナタの一つ、第30番。アリスならではの感性とひらめきが生み出す流れだ。

 後半もまた、その優れたセンスで並べられたフィールドのノクターンの後に、ベートーヴェンのマスターピースである「月光ソナタ」を置く。有名な冒頭部分の三連符と、フィールドの9番のノクターンの三連符が似ているとアリスはいう。こうした普遍的なモチーフの魅力に気づかせてもらえるのも、彼女のようなプログラミングにこだわるピアニストの演奏会の良いところ。

 研ぎ澄まされた感性でアンテナを張り、独自に感じ取った音楽の意味、美しいメッセージを私たちと共有してくれるアリス。今回も、フィールドの作品との出会い以上の大きな発見をもたらしてくれることだろう。

高坂はる香(こうさかはるか)

音楽ライター、編集者。大学院でインドのスラム支援プロジェクトを研究。その後、ピアノ専門誌の編集者を経て、2011年よりフリーライターとして活動。国内外でピアニスト等の取材を行うほか、世界のピアノコンクールの現地レポートも配信している。著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル

アリス=紗良・オット ピアノリサイタル

2025年6月26日(木)19:00開演

文京シビックホール 大ホール

出演

アリス=紗良・オット

曲目

ジョン・フィールド/ノクターン 第1 ★・2・4・9・10・12・14・16・17番
※ジョン・フィールド:ノクターンの番号は、1859年にJ.シューベルト社から出版されたF.リスト版による。

ベートーヴェン/ピアノソナタ 第19・30・14番「月光」★

【★マーク】
試聴できます(2025年7
月まで/試聴音源の演奏家・楽器編成は演奏会のものと異なる場合がございます。)

料金

【全席指定・税込】
 S席 6,000円
 A席 5,000円
 B席 4,000円(完売)


お問い合わせ

シビックチケット 03-5803-1111(10時~19時/土・日・祝休日も受付。ただし5/18(日)は休業。)

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