特集 ~極上の音楽で安らぎのひとときを~ 仲道郁代 (ピアノ)  スペシャルインタビュー 2015年11月27日(金)「夜クラシックVol.7」

ピアニスト 仲道 郁代 Ikuyo Nakamichi

 4歳からピアノを始める。国内外での受賞を経て1987年ヨーロッパと日本で本格的にデビュー。温かい音色と叙情性、卓越した音楽性が高く評価され、人気、実力ともに日本を代表するピアニストとして活躍している。
 古典からロマン派まで幅広いレパートリーを持ち、マゼール、P. ヤルヴィ、小林研一郎などの多くの指揮者、国内外のオーケストラと共演。リサイタルも全国各地で開催している。他にも、音楽との幸せな出会いを願うプロジェクト「不思議ボール」、各地でのアウトリーチ活動など、魅力的な内容とともに豊かな人間性がますます多くのファンを魅了している。レコーディングはソニー・ミュージックジャパンインターナショナルと専属契約を結び多数のCDをリリース。テレビ番組、新聞、雑誌、ラジオなどメディアへの出演も多く、音楽の素晴らしさを広く深く伝える姿勢は多くの共感を集めている。

http://www.ikuyo-nakamichi.com

取材・文:オヤマダアツシ 写真:星 ひかる

一日の終わりにゆったりとした気持ちで楽しめる

——『夜クラシック』には第1回(2014年4月)に出演されています。その際にはオール・ショパン・プログラムで、素晴らしい演奏を聴かせていただきました。

このシリーズは、とても素晴らしい試みですね。前回は20時から、今回は19時30分から開演ということですが、仕事を終えて帰宅をする方たちが途中でホールへちょっと立ち寄り、クラシックの名曲を聴いてリラックスできるチャンスは、東京でもまだ少ないと思います。クラシックのコンサートが日常生活の中にあり、毎日のシーンに音楽がすっと入り込んでくるような関係を築きたいですし、『夜クラシック』はそうした楽しみ方を提供する素晴らしい機会だと言えるでしょう。ですから今回のプログラミングは、いろいろなことがあった1日の終わりにゆったりとした気持ちで音楽を楽しめるような構成にしました。コンサートが始まると自然に音楽との距離が近くなり、聴き進むにつれていろいろな思いが深まっていき、「今日はコンサートを聴いてよかった」と思いながらホールを後にしていただけるとうれしいです。

新しい発見や楽しみもクラシック音楽を聴く醍醐味

——前半はショパンの「ワルツ」を5曲、そして有名な「ノクターン第20番」と「バラード第1番」が続き、後半はベートーヴェンのピアノ・ソナタを2曲演奏していただきます。

ショパンの「ワルツ」はレコーディングのプランがありますので、あらためて弾きながら研究を重ねているところです。「エチュード」や「プレリュード」ほかいろいろなスタイルで作曲していたショパンですが、「ワルツ」に関してはもっとも気負いなく、親しい友人にさらさらっと手紙をしたためるような気分で書いたのかもしれません。短期間ながらウィーンにも滞在していたので、貴族たちが華麗に踊るウィンナ・ワルツの影響も多少はあると思いますが、それよりもショパン自身のつぶやきと言いますか、何気ない日常の中にある「(3拍子で)♪エッ・セン・ス」のような感じで、自分の気持ちを表に出している音楽だと感じます。同じ3拍子の音楽でも「マズルカ」や「ポロネーズ」は故郷ポーランドへの思いが詰まっていて、背負っているものが重いのかもしれません。5曲の「ワルツ」にはそれぞれショパンの美質が表れていますし、「ワルツだから」と一括りにはできないほど音楽の表情も違います。たとえば「ワルツ第3番」(イ短調、op.34-2)はちょっと陰がある曲調ですので、「え、これがワルツなの?」と思う方もいらっしゃるでしょう。

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——コンサートではモダン・ピアノだけでなく、ショパンが愛奏したというプレイエル製のフォルテピアノ(古楽器)をお弾きになる機会も多いようですが、演奏への影響や変化もありましたか。

ショパン自身が思い描いていた音楽の本来の姿や、当時のピアノの音を知ることができますし、私はかなり大きな影響を受けました。フォルテピアノがショパン自身の演奏を教えてくれるようにも感じられますし、モダン・ピアノを演奏するときにもそうした感触や情報を無視することはできませんので、自分の演奏も以前と比べて大きく変わっているでしょう。モダン・ピアノを弾く場合は楽器の特性を生かした弾き方をしますが、それですと「ワルツ」はとても立派な音楽になってしまい、最初は「本来ならこういう音楽ではないのに」とジレンマを感じることさえありましたね。ですから現在は、モダン・ピアノで弾いてもフォルテピアノの音を意識しながら演奏するように心がけ、“本来の「ワルツ」はこうかもしれませんよ”とお客様に提示するよう努めています。その後にお聴きいただく「ノクターン第20番」や「バラード第1番」もそうした流れに乗って演奏しますが、感情を吐露する気分がどんどん強くなっていく音楽ですので、後半のベートーヴェンにつながっていくと思います。

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仲道:ベートーヴェンのピアノ・ソナタとしては珍しく、自身が「告別」と命名しています。さらには3楽章それぞれにも「告別」「不在」「再会」という明快なタイトルが付いていますので、各場面を連想しながら聴いていただける作品だと言えるでしょう。「告別」というのは恋人との別れではなく、ベートーヴェンの理解者だったルドルフ大公がナポレオン率いるフランス軍のウィーン侵攻を前に街を去るため、しばしの別れを惜しんだという意味。ですから別れの悲しさや再会の喜びといった感情の変化が音楽に表れていますし、ひとつのストーリーとしても楽しめる作品なのです。ベートーヴェンの音楽は難しいとおっしゃる方もときどきいらっしゃいますが、この曲はとてもわかりやすいですし、初めて聴くという方であっても「こんなに聴きやすくて素晴らしい曲があったのか」と思っていただけるはずです。

——その「告別」ソナタが作曲されたのは1809年から1810年にかけてですが、1810年といえばショパンが生まれた年でもあり、偶然にもプログラムの前半にもつながります。

意識して選曲をしたわけではありませんが、面白いですよね。クラシックは、作曲された当時の社会情勢や歴史などを知ればさらに理解が深まる音楽です。「告別」ソナタが書かれた時期にフランス軍はウィーンを占領しますが、その2年後である1812年にはロシアとの戦いに敗れ、後にチャイコフスキーがそのエピソードをもとにして「1812年」というオーケストラ曲を書きました。一方でショパンが生まれた1810年代のポーランドはフランスの支配下からロシアの支配下に移ったという混乱の時代であり、後にショパンはウィーンでの成功を夢見てポーランドを後にしました。こうしてちょっと調べてみるだけでも、さまざまな関係性が浮かび上がってくるから面白くなるのでしょうね。興味をもって音楽の背景などを調べてみると「なるほど、これは学生時代に習ったな」と気づくこともあるでしょうし、そういった新しい発見や楽しみもクラシック音楽を聴く醍醐味だと言えます。

繰り返し何度も体験することで理解が深まります

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——ところで、毎日の中で趣味などを楽しまれることはありますか。

クラシック音楽という西洋の文化を長いこと学んできましたが、日本の文化についても知りたくなってお茶を習い始めました。和室での所作や四季折々を感じられるしきたりなど、奥深さを感じることがたくさんあります。茶器とお茶碗の取り合わせの妙など、日本人らしい細やかなセンスを目の当たりにして感動しますね。型があるからこそ自由なのだという発想にも心を奪われますし、素晴らしいお道具が出てきたときにはちょっとした質感の違いから本物の価値を知ることもでき、音楽に通じるものも多いのだろうなと感じたこともありました。お茶も音楽も繰り返し何度も体験することで理解が深まりますし、おそらく共通点も多いと思うのです。そういった日々考えていることや、音楽についてのいろいろな思い、ちょっと笑っていただけるエピソードや子供の頃のことなどをまとめ、『ピアニストはおもしろい』という本を書きました(春秋社刊)。執筆しながらあらためて自分を見つめ直すことができましたので、これを機にますます演奏が深まればいいなと思っています。

プロフィール

取材・文オヤマダアツシ

音楽ライター。音楽家のインタビュー記事、コンサートのプログラムノート等を中心に執筆。
『ぶらあぼ』『ぴあクラシック』『モーストリー・クラシック』『ショパン』等で記事を執筆するほか、クラシック音楽の魅力を伝える音楽講座なども担当。
著書に『ロシア音楽はじめてブック』(アルテスパブリッシング刊)。共著は多数。

夜クラシックVol.7 仲道郁代 音楽夜物語~物語で紡がれる音楽~

2015年11月27日(金)19:30開演 文京シビックホール 大ホール

公演情報

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