世界のトップジャズ・ピアニスト小曾根真スペシャルインタビュー2014年7月2日(水)「文京シビックホールPRESENTS小曾根真リサイタル2014~プレミアム・ピアノ・ナイト~」」

ピアニスト 小曾根真

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 1983年にバークリー音楽大学ジャズ作・編曲科を首席で卒業。同年カーネギーホールにてリサイタルを開き、米CBSと日本人初のレコード専属契約を結び、アルバム「OZONE」で全世界デビュー。2003年にグラミー賞にノミネート。近年はクラシックにも取り組み、国内外の主要オーケストラと、バーンスタイン、モーツァルト、ショスタコーヴィチ、ラフマニノフなどの協奏曲で共演を重ね、「比類のない演奏で、観客は魅了され大絶賛した」(北独ハノーファー新聞)など高い評価を得ている。
 また、2004年には、ビッグバンド「No Name Horses」を結成し、国内はもとより、アメリカ、フランス、スコットランド、オーストリア、シンガポールなどから招かれているほか、数々のCDアルバムをリリース。2013年6月には世界的ヴィブラフォン奏者ゲイリー・バートンとのデュオ・アルバム「Time Thread」をリリース、全国ツアーを展開した。
 FM番組のパーソナリティーを務めるほか、TV番組のサウンドトラックや映画、舞台音楽を手がけるなど幅広く活躍。国立音楽大学教授。

http://makotoozone.com/

ピアノは私自身の言葉です ~仲道郁代に聞く~

ピアノとの出会い

ピアノを始められたきっかけは?

 最初の出会いは5歳のとき。母親に言われてレッスンを受けたのですが、バイエルをやってピアノが大嫌いになりました。ジャズ・ピアニストだった父親のアートのような楽譜を見ていた私は、「子供用ですよ」と言わんばかりの譜面に白けてしまったんです。ところが12歳のとき、オスカー・ピーターソンのコンサートに行って、ショックを受けるほど感動し、なぜピアノを続けなかったのか!と思いました。そして彼との年齢差である30数年間本気で練習したらあれ位弾ける!と思い込み ─12歳なので何もわかってなかったんですね(笑)─ 帰ってすぐ母親に「ピアノの先生を見つけてくれ」と。母は面喰らっていましたよ。

それからレッスンに?

 それまで家にあるハモンドオルガンを独学で弾いてはいました。そこでまた生意気なことに、「ピアノの弾き方を習いたい、だけど音楽は習いたくない」と言ったんです。そして神戸の灘カトリック教会のジャン・メルオ神父にクラシック・ピアノを学びました。ちなみに彼は芸大の先生も習いに来ていたほどの人です。面白かったのは、バッハのインベンション(※1)をピアノで弾いて丸をもらうと、次はそれをハープシコード(※2)、その次はオルガンで弾くという練習。弾き方が全部違うので勉強になりましたね。


※1バッハが息子の音楽学習のために作った鍵盤楽曲集
※2ピアノの基になった楽器で、バロック期(17~18世紀)の代表的な鍵盤楽器。
   ハープシコード(英)、チェンバロ(独)、クラブサン(仏)の呼称をもつ

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アメリカデビューまでの道のり

併せてジャズも学ばれた?

 ジャズに関しては、父が業界にいたのが大きいですね。まずオスカー・ピーターソンのレコードを何週間もかけてコピーする。それを覚えると父のいるジャズ・クラブに行って「弾かせてくれ」と頼む。1曲弾くと大人に受ける。嬉しいから次の曲を…といった感じです。そのとき素晴らしいドラム奏者、ベース奏者と一緒に演奏したおかげで、スイング感を養いました。また難しいオスカー・ピーターソンの曲を無理矢理弾くことで、テクニックがついたような気がします。

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その後、ボストンのバークリー音楽大学に進まれました。

 バークリーは誰でも入れたんです(笑)。でもそこでは、土台となるドラム、ベース、ピアノの上手い人は引っ張りだこ。色々な学生から頼まれてバックで弾き、学校にあるバークリー・パフォーミング・センターの最多出場記録を作ったりしていました。ただそうした活動もきちんと評価する学校でしたし、楽典の点数は悪くても、作品を発表すると良い評価をもらっていました。

そこを首席で卒業し、そのままアメリカ・デビューされたのですか?

 本当は日本に帰るつもりでしたが、卒業式に来たクインシー・ジョーンズの前で、彼の曲を信じられないほど速いテンポで演奏したら、お声がかかって、デビューが決まりました。ただプロデューサーとどうも話が合わない。同じ頃、学生のとき自主制作LPで出したトロンボーン奏者とのライヴ盤を、誰かがジョン・ハモンドという大物プロデューサーに聴かせたところ、彼がCBSレコードに電話して、「すぐに契約しろ」と言ったようでCBSのジャズのトップからいきなり連絡がきて「契約したい」と。そこでクインシー・ジョーンズ側に断りを入れ、アメリカに残ることになりました。

以来、グラミー賞にノミネートされるなど、今に至る大活躍が続くわけですね。結局アメリカにはどの位いらしたのですか?

 1980年から90年までの10年間、バークリーを含めてボストンにいて、一旦帰国し、また1999年にニューヨークに行って、2006年に戻りましたから、合わせて17、8年住んでいたことになります。

2003年が私のクラシック・デビュー

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クラシック音楽に取り組むきっかけは?

 これがおっちょこちょいな話で。2003年、尾高忠明さんが指揮をする札幌交響楽団の定期演奏会に出演の依頼がありました。以前、ラジオで尾高さんに「小曽根君といつか“ラプソディ・イン・ブルーをやりたい”」と言われていたので、当然“ラプソディ〜”だと思って引き受けたんです。ところがその後確認したら、「モーツァルトで、好きな協奏曲を選んでくれ」と。そこで協奏曲全集のCDを聴き通して“第9番<<ジュノーム>>”を選び、半年間必死で練習しました。

それまでクラシックの作品は、まったく弾かれていなかったのですか?

 1996年に小松長生さん指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団と“ラプソディ・イン・ブルー”のオリジナル・バージョンを演奏して以来、井上道義さん指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団と、ガーシュウィンの“コンチェルト・インF(協奏曲 ヘ調)”とバーンスタインの“不安の時代”をやり、モーツァルトも、野外フェスティバルでチック・コリアと2台のピアノのための協奏曲を演奏していました。でも定期演奏会でソロを弾くというのは、全然話が違う。なので2003年が私のクラシック・デビューだと思っています。


翌2004年には、すぐに井上道義指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の定期公演で、「ジェノーム」を弾かれていますよね。

 いやそれが札幌交響楽団ではちゃんと弾けなかったから悔しくて…。もちろん事故はないけど、何かが違いすぎる。そこでその違いを知るために、43歳になって1学期間イーストマン音楽院に通ったんです。すると私の弾き方は全て間違っていた。もう怖くなって東京フィルハーモニー交響楽団はキャンセルしようと思いましたよ。まあ頑張って弾いたのですが、そこから繋がって今日に至るといった感じです。

それから10年、レパートリーも広がっていますよね?

 誘って頂く指揮者の方に「私のテクニックからみて、少し頑張らないと弾けない曲を持ってきてください」とお願いしたところ、2007年に尾高さんとシンフォニア・ヴァルソヴィアでベートーヴェンの“協奏曲第2番”、2010年に井上さんとショスタコーヴィチの“協奏曲第1番”、一昨年のNHK交響楽団のツアーでは、尾高さんとラフマニノフの“パガニーニの主題による狂詩曲”…と広がっていき、今は“プロコフィエフの協奏曲第3番”を練習しています。

協奏曲に備えた独自の練習法などは?

 オーケストラのパートを必ず覚えるようにしています。スコアを買ってきて、キーボードを弾きながら全パートをコンピュータに入れる。 すると弾いている内にパートを覚え、カラオケ代わりにもなり、オーケストレーションの勉強もできます。

名前のない馬「No Name Horses」

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一方で、ご自身率いるビッグバンド「No Name Horses」で活躍されています。

 これは元々、2004年にシンガーの伊藤君子さんのアルバムのレコーディングに集まったメンバー。ライヴとスタジオのミュージシャンが半々なので、最初まざったときは面白かったですね。それがどんどんいい形になり、10周年を迎えた今年は秋に14公演の全国ツアーをやります。

ネーミングの由来は?

 売れっ子のミュージシャンが集まっていて一人ひとりが強者(つわもの)。とはいえ「サラブレッド」では嫌みだし、誰かに飼われている感じがする。だから飼い主もいない「名前のない馬」に。みな自由に駆け回る馬たちです。

お客さんはパートナー

文京シビックホールでは、NHK交響楽団との「ラプソディ・イン・ブルー」とNo Name Horseの公演で演奏されていますが、ホールの印象はいかがですか?

どちらもとてもやりやすかったのを憶えています。聴衆と一体になれる響きで、皆のエネルギーを舞台上で直接感じられました。

今回は完全なソロのリサイタル。どんな内容に?

 ソロのときは、曲目を決めないんです。もちろん持ち曲をやるのですが、その日に降りてくるメッセージがある。今日の前半は全部即興にしようとか…。ジャズの場合は、持ち曲といっても毎回弾く形は変わりますし、結局お客さんがパートナーなんです。空気を共有しているお客さんと共鳴し合い、-運命共同体-として集まった皆で時間を共有し、生きていることをリアルタイムで実感するというのが、私にとっては演奏会で1番大事なことですね。

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さらに詳しくお話頂くと・・・

 そこには寂しい曲も、楽しい曲も、笑いも疑問や悩みもあります。ソロ・ピアノのときは私もお客さんになり、自分が出した音を聴きながら紡いでいくと間違いありません。自分が出す側だと思って一方的に弾くと、相手の気持ちを考えないでマシンガンのようにしゃべる人と同じになってしまいます。私は、お客さんと一緒に作ることが、音楽にしかできない-リアルタイムの芸術-の存在意義であり、鳴っている音を共有し、気付くとまた明日から元気に生きていくエネルギーを得ているといったコンサートができたら最高だと思っています。

皆が集中したら凄いことも起きる?

 お客さんが私の音楽に気持ちが入ると、空気を止めてくれます。そうしてお客さんと一緒に呼吸するのは、本当に至福の時間ですね。それに余韻もすごく大事。皆が余韻に浸っているとき、そっと音を弾くと、どんなピアニシモでも2階の後ろまで聴こえます。

楽しかった、幸せになったというのが音楽の原点

何が起きるかわからないのがコンサートの醍醐味でもありますよね?

 2000人いたら2000通りの楽しみ方がありながら、結局は鳴っている音で皆が感じているのがコンサートではないでしょうか。そもそもコンサートというのは、いい音楽を聴きに来ることではないと、最近つくづく思います。演奏者がいい音楽を奏でるのは当然ですが、必死で何かを伝えようとしている人の姿にエネルギーを感じるのがコンサート。一番怖いのは、デューク・エリントンやマイルス・デイビス、ベートーヴェンやモーツァルトなどが神格化されることです。それが彼らの音楽を作った目的ではなく、人に聴いてもらって、その人が楽しかった、幸せになったというのが音楽の原点のはず。そういう意味で私ができるのは、ベートーヴェンのソナタを完璧に弾くことではなく、皆と一緒に素敵な2時間を紡ぐことだと思います。

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一応今回は、前後半に分かれた2時間のコンサートになるのですね?

 そのつもりではいます。でもそう考えていても、前半1時間弾いてしまって、結局は2時間半位になることもありますが…(笑)。

公演がますます楽しみになってきます。本日はありがとうございました。

プロフィール

柴田 克彦(しばた・かつひこ)

音楽マネージメント勤務を経て、フリーの音楽ライター・評論家&編集者となる。
「ぶらあぼ」「ぴあクラシック」「CDジャーナル」「バンド・ジャーナル」等の雑誌、公演プログラム、宣伝媒体、
CDブックレットへの取材・紹介記事や曲目解説等の寄稿、プログラム等の編集業務を行うほか、講演や一般の講座も
受け持つなど、幅広く活動中。
文京シビックホールにおける「響きの森クラシック・シリーズ」の曲目解説も長年担当している。

メルマガ会員限定!!シビックホールメンバーズの皆様へ特別にメッセージをいただきました。

小曾根真スペシャルメッセージ

文京シビックホールPRESENT小曾根リサイタル2014~プレミアム・ピアノ・ナイト~

2014年7月2日(水)19:00開演文京シビックホール 大ホール

チケット購入はこち

シビックホールメンバーズWEB好評発売中

出演:ピアノ/小木曽真

曲名:当日発表

料金:S席5,000円 A席4,000円(全席指定・税込)

<お問い合わせ>シビックチケット03-5803-1111(10時~19時土・日・祝休日も受付、5/18[日]は休業)

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