落語において明るく元気な林家伝統のサービス精神を受け継ぎながらも、古典芸能を現代に広めるために努力を続け、落語の楽しさを伝えている。たい平ワールドと呼ばれる落語には老若男女数多くのファンを集め、年間を通じ定期的に行う自らの独演会を中心に全国でも数多くの落語会を行なっている。落語の伝道師として名を広め、これからの落語界を担う、今もっとも注目を浴びる噺家である。
昭和62年 | 武蔵野美術大学 造形学部卒業 |
昭和63年 | 林家こん平に入門 |
平成4年 | 二ツ目昇進 |
平成5年 | 北区若手落語家競演会 優勝 |
平成5年 | NHK新人演芸コンクール 優秀賞受賞 |
平成6年 | にっかん飛切落語会 特別賞受賞 |
平成10年 | にっかん飛切落語会 奨励賞受賞 |
平成11年 | 国立演芸場主催 花形演芸会 銀賞受賞 |
平成11年 | さいたま芸術劇場主催 彩の国落語大賞受賞 |
平成11年 | にっかん飛切落語会 奨励賞受賞 |
平成12年 | 真打昇進 |
平成16年 | 国立演芸場主催 花形演芸会 金賞受賞 |
平成20年 | 国立演芸場主催 花形演芸会 金賞受賞 |
平成20年 | 平成19年度(第58回)芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞 |
平成22年 | 武蔵野美術大学 芸術文化学科 客員教授就任 |
落語に出会ったのは大学生の頃です。美術大学なのに落語研究会があって、不思議だなぁと思ってたまたま覗いちゃったのがきっかけです。それまでは落語なんて全く興味もなかったし、聞いた事もありませんでした。笑点は子どもの頃から観ていましたけど、皆さんと同じように日曜日の娯楽番組として楽しんでいたので、そこに出ている人たちが「落語家」という認識すら持っていませんでした。
でも大学3年生の頃、アパートで自分の課題作品を仕上げているとラジオから落語が聞こえてきて、その時とても感銘を受けたんです。その頃僕はデザインの勉強をしていて、どういうデザインの表現で自分が世の中の役に立つかを考えていた時期でした。しかし絵や、形に残すことだけがデザインの表現ではなく、落語というモノを使って、人の心の中をデザインすることもデザイン表現のひとつではないかという事に考えが及んでいって、それが落語家を志すきっかけになりました。ぴったりする画材にようやく出会えた感じですね。
僕は落語に出会えて本当に良かったと思っているので、同じように多くの人に落語に出会って欲しいと思い、落語家を目指しました。
笑点に出たり、ラジオに出たり、歌を歌ったりと、いろいろな所で落語との接点を作る活動をしているつもりです。ですからそれに触れたお客様が実際に寄席に来て下さるとすごくうれしいです。
今の学生さんはすごく真面目ですよね。90分の授業の中で一生懸命何かを学び取ろうとしているので、学生といる時間はとても幸せです。お互い貴重な90分間ですので、来て良かったと思ってくれることはなんだろうといつも考えています。これは落語をやっていく上でもプラスになります。
寄席は長くても大体15分くらいのネタをやることが多いのですが、独演会はじっくりと腰を据えて落語を聴いていただく点が違いますね。ホールの場所など、色々なことを鑑みながらネタを選ばなければいけない所が、独演会を演じる際の楽しさでもあり、生みの苦しみではないですけれども、どうしたらお客様に喜んでもらえるのかな、ということをすごく考えながらやらせていただいております。
食わず嫌いで一番もったいないものの最たるものが落語だと思います。生きていく上での大切な事を笑いの中で教えてくれるのが落語の凄さ。もっと早く出会えれば良かったと必ず思うはずです。普段の生活の中にあるのが落語だと思っておりますので、気負うことなく、肩の力を抜いて楽しんでもらいたいですね。
このメルマガで「林家たい平」という名前を見て、少しでも引っかかったという方は、きっと何かがあるはずなので、一期一会の縁を信じて、ぜひ観に来てもらえたらと思います。
落語はライブなので、いくら同じネタをやっても全く同じなんてことはほぼあり得ません。僕とお客さんがその時に作る空気はその時にしか作れないというのも落語の醍醐味です。まさにそこが一番重要なところかもしれませんね。だから騙されたと思って一度来てみてください。決して騙しませんから(笑)